国宝 松本城を訪ねて (おまけ編)
今回は、松本城を訪ねたのですが、ちょっとしたミスで、一般的なルートとは違うルートで松本城を訪ねました。まずは、この過程についておまけ編として書いていきます。本編は観光的にもわかりきったことが基本となる予定ですので、先に、おまけ編として、こちらをアップします。
松本駅の改札を出て、松本城までどう行こうかと考えていたら、駅前のバスターミナルに、松本城に行く周遊バスがあるのを見つけて、このバスで松本城に行こうと決めました。バスの名前は、タウンスニーカー号といって、東西南北の4つのコースがあります。この時点で、私は、どのコースのバスに乗っても松本城を経由すると考えていましたが、この考えこそが、違う展開へとつながっていくのです。
10分くらい待ってバスが来たので、バスに乗り、あいている席に座りました。私の目からすると、バスの乗客はほとんどが観光客だなあと思いましたので、この人たちと同じところで降りればほぼ間違いないと考えました。
バスが出発し、当然、ルートどおりに運行するのですがバスが進むにつれ、グーグルマップの位置情報は、どんどんと松本城から離れていきます。少し焦りましたが、他の乗客の方はほとんどおりていないので多分大丈夫だと思いながら乗っていました。途中、「蔵シック館」とか「はかり資料館」といったバス停の名前を聞き、安心感みたいなものも感じました。そして、バスは日ノ出町というバス停に到着し、ほとんどの乗客がバスを降りていきます。これはまずいと思い、私も降りることにしました。乗車料金200円を運賃箱に入れて降りたところに何があったかというと、イオンモール松本でした。つまり、バスの乗客はほとんど地元の人でした。どうやら私は、違うコース(東コース)のバスに乗ってしまったようです。
すべてのコースが松本城を経由するわけではなく、実際には北コースのバスが松本城を経由するバスだったのです。私が乗ったバスは東コースのバスでした。間違えたので、さてどうしようかと思いましたが、一応、イオンモール松本の中に入って見ることにしました。パッと見ただけですが、H&Mなどチェーン店もありましたし、ほぼ都会のイオンモールと同じ感じです。ただ、今回の目的は、イオンモール松本で買い物することではなく、松本城を訪れることが目的なので、すく出ることにしました。
イオンモール松本を出て、いろいろと考えたのですが、とりあえず徒歩で、バスで来た道を戻ることにしました。少し歩いたところに点滅信号があり、その先に、昔ながらの建物が並ぶ通りがあります。この通りこそが中町通りです。後で調べて分かったことなのですが、バスは中町通りを通ってきたということになります。
●中町通り
(以下、中町通りのホームページから)
「中町通りは西から東へ抜ける善光寺街道 (北国街道西街道)沿いにあり、主に酒造業や呉服などの問屋が集まり繁盛してきました。しかし江戸末期や明治に南深志一帯が大火に見舞われ主要な施設や町家が多数失われました。再三にわたる火災から守るため、商人たちの知恵で「なまこ壁の土蔵」が造られ、その白と黒との簡潔なデザインの土蔵造りの家が中町付近には今なお多く残っており、古き松本の雰囲気を漂わせています。」
中町通りは、白と黒のなまこ壁が特徴的な通りです。いかにも城下町という雰囲気を出しています。
中町通りを少し歩いて、とりあえず右に曲がってみようと、右に曲がって、一ツ橋小路という道幅の狭い道に入りました。一ツ橋小路は、江戸時代の小路で今も残されています。この幅の狭い道にも、城下町の面影が残っています。そして、女鳥羽川を渡りすぐ左に曲がると繩手通りに入ります。
●女鳥羽川と繩手通り
写真の右側が、繩手通りの建物。その横を流れる川が、女鳥羽川。
(以下、繩手通りのホームページから)
「個性的なお店が長屋風に軒を並べる商店街です。女鳥羽川の土手から始まった通りで、「縄のように長い土手」から「縄手」と呼ばれるようになりました。」
繩手通りは、歩いていて、本当に独特な雰囲気がする通りで、お店も個性的なお店が多かったです。残念ながら、繩手通りの写真は、忙しい時間帯なのか、ボタンを押すと、タイミングよく人がフレームの真ん中に入ってくるので、通りの写真というよりは、人が真ん中にいる写真になってしまったため、ここでは使えませんでした。ただ、この写真から「縄のように長い土手」というのはわかる気がします。
繩手通りを通り過ぎると、大きな道に出ます。私は、これを右に曲がって歩きました。この大きな道は大名町通りと言います。この通りこそが、松本城へとつながる道なのです。大名町通りと言いましても、ビジネス街の要素もあり、現代的です。
そして、まっすぐ歩いて、突き当りにあるのが、松本城であり、やっと到着したのでした。
今回は、松本駅→日ノ出町(イオンモール前)バス停→中町通り→繩手通り→大名町通り→松本城というルートで松本城まで行きました。
このルートで松本城まで行ったことはある意味よかったかもしれません。スケール感はありませんが、中町通りと繩手通りもどこか城下町のイメージを残っていて、ちょっとした歴史に触れることができました。もし、間違えていなければ、おそらく、この2つの通りのことは知らずにいたに違いありません。なので、間違いも時には捨てたものではないなあと今回の経験で実感しました。