国宝 松本城を訪ねて (本編)
松本城に着きましたので、早速、城内に入ることにします。
松本城は戦国時代の永正年代初めに造られた深志城が始まりです。天守の築造年代は、文禄2年から3年(1593~4年)と考えられています。(パンフレットから)。
松本城は現存12天守の中の1つです。
松本城前の信号を渡ると、「国宝 松本城天守」の石碑があり、これが松本城の入り口です。入って、道なりに行くと黒門があります。この黒門の入り口に券売所があり、ここで、国宝松本城の観覧券(700円)を購入します。観覧券だけでなく、簡単な三つ折りのパンフレットもくれますので、目を通すことをお勧めします。
黒門をくぐると、売店があり、そして、左側に天守と本丸御殿跡(芝生)が見えてきます。
当日は、外国人観光客が多かったです。アジア系の方々が、結構、来ていて、アメリカ、ヨーロッパ系らしき方もいました。
目の前で見た、松本城天守は黒を基調としていて、風格すら感じる建物でした。松本城が黒壁である理由は、豊臣秀吉により、石川数正と息子の康長が松本に配置されたことにあります。黒壁は豊臣系の城であることを示します。
松本城は、連結複合式望楼型5層6階の構造形式です。6階建てなのに、外から見ると5階建てなのは、3階が隠し階となっていて、外からは見えない構造となっているからです。実際、私は、そんなことも気づかずに通ってしまいました。松本城を見るポイントとしては、天守内に入る前に外から見て何階建てかを確認することと、3階は隠し階ということを知っておくと、天守内を見学するときに役立ちます。
売店を通って、左に曲がって、天守の入り口に向かいました。芝生もきれいに管理されていて、見ていて爽快な気分になります。消火栓もあり、防火対策も万全です。なお、溝みたいなもので区切られている中側が、本丸御殿跡です。
天守の入り口に着き、白いポリ袋に靴を入れ、天守内に入りました。階段を上に上がるのですが、階段の角度があり、1段の幅が長いため、上るときは注意が必要です。
最上階まで上がる過程で、展示品があるのですが、特に多かったのが鉄砲です。鉄砲に家紋が記されているところが、いかにも日本的に見えました。調べてみると、信濃では、川中島の戦い(1553~1564)で初めて鉄砲が使われました。松本城の天守の築造年代は1593年から1594年頃ですので、天守のつくりに鉄砲での防御対策が織り込まれたのは自然な流れだと考えました。
鉄砲などの展示品の横に、戦国時代の女性たちが弾薬を作っているという資料がありました。女性が弾薬作りに携わることは、戦国時代だからのことで、現在に置き換えるととても考えられないことです。いかに、平和というものが大事なのかが実感できました。
いろいろと見ながら、最上階へと上がっていき、最上階に着きました。意外にも、最上階は思ったほど明るくありませんでした。私としては、最上階だから、日差しもよく、明るいものと思っていたので、少し戸惑いました。もともと天守の最上階は、戦国時代、敵の様子を見るところとして使われていましたので、個人的には、戦国時代の雰囲気をいちばん味わえる階かもしれないと思いました。
最上階の窓には鉄格子があり、顔を外に出すことができませんが、カメラの枠だけは確保されていますので、枠に合わせて写真を撮ることができます。早速、写真を撮ることにしました。
写真から、最上階の展望は、一戸建て住宅やビルもたくさんあり、松本市が栄えているということがわかります。そういえば、長野県は精密機械の企業が多いことで有名なので、松本市もその影響があるかもしれません。天守からの景色は、どの角度も建物が多いですが、特に、南側の景色などは、都会的にも見えます。私的には、この中では、東側の景色がいちばんよかったです。
最上階で写真を撮り終わり、階下まで降りることにしました。降りるときも階段の角度と段の幅に注意しながら降りました。途中、2階に月見櫓(つきみやぐら)がありましたが、残念ながら、工事中(塗装の塗り替え)のため、中に入ることができませんでした。月見櫓は戦国時代が終わった後に造られたものなので、防御を重視したつくりではなく、月見をするために造られたものなので、開放的な作りになっています。入り口から見ても、月見櫓は日当たりがよく、明るい雰囲気を感じさせる建物であることはわかりました。
私は、天守を出て、庭をゆっくりと散策した後、黒門を出ました。出てから、今度は、松本城公園を散策し、公園から天守と内堀を見て、松本城を後にしました。
家に帰って、ブログを書いているときに気が付いたのですが、残念ながら太鼓門と二の丸御殿跡を見るのを忘れてしまいました。もし、また松本城に行く機会があれば、見ようと思います。
帰りは、松本城から歩いて松本駅まで行きました。所要時間を約15分でした。基本的には、真っすぐ行って中央2丁目の信号を右に曲がれば松本駅に着きますが、私は、地元の人の流れから、1つ手前の信号を曲がって松本駅まで行きました。途中、PARCOがあり、松本市は意外と都会的なものも、いくつかあると気づきました。
今回、松本城を訪ねて、行く過程では、いろいろとありましたが、それは別として、今回は、松本城の現存天守とはこういうものだということが、肌で感じ取ることができました。