初めて信州善光寺を訪ねる。
長野県にある善光寺を初めて訪ねました。平日に訪ねたのですが、結構、人が多く、あらためて人気の観光スポットなのだと実感しました。以下は、私の善光寺を訪ねた際の体験記的ものになっております。気軽に読んでいただければ幸いです。
まずは、簡単に信州善光寺の紹介
●善光寺は、おおよそ7世紀から続く歴史を持つ寺です。日本の最古の仏像の1つとして、御本尊 一光三尊阿弥陀如来様があります。善光寺の寺号は、御開山 本田善光卿の名に由来するといわれています。
●善光寺の本堂は、1707年に再建されました。江戸時代中期を代表する仏教建築として国宝に指定されています。
長野駅からバスで善光寺に向かう
篠ノ井線の各駅停車で長野駅に到着し、改札を出て、バス乗り場に行くとタイミングよくバスが来ていました。バスのほうも篠ノ井線のダイヤを考慮して時刻表を作成しているのかはわかりませんが、おかげで待たずにバスに乗ることができました。バスの支払いのほうは残念ながらJR系の電子マネーが使えず、しかたなく整理券を取り座席に座りました。
その後、私が座ってから30秒くらいでバスは出発しました。バスはターミナルを出て、信号を右に曲がったら、ずーっと真っすぐ走って、約5,6分で終点の善光寺大門前に到着しました。因みに料金は190円です(2022年8月現在)。あとは、本堂に向かって歩くだけです。
善光寺に入る
バス停を降り、善光寺という信号がある交差点を渡り、善光寺に入っていきます。仁王門をくぐると。仲見世通りがあり、蕎麦屋やおみあげもの屋、仏壇店もあります。その中での変わり種は、スターバックスコーヒーです。
お寺の仲見世通りにスターバックスコーヒーです。昔ならあり得ない光景です。和のテイストがないコーヒーとお寺のコントラスト。善光寺が、いくつもの時代を超えて、今日も存在しているのは、無宗派だからではないかと思わせる光景です。なお、このスターバックスはSNSでも多く写真がアップされていますので、話題になっていたのかもしれません。
仲見世通りをまっすぐに行くと山門があります。
山門も有料(500円)ですが見学できます。そして、山門をくくると本堂が見えてきます。本堂の前には回向柱(えこうばしら)がありました。
正直、私は回向柱のことはよくわかりません。ただ、柱の横にさい銭箱があるので、さい銭を入れて手で触るものだと思い、実際にさい銭を入れて、回向柱を触りました。後に調べたのですが、柱を触ることでご利益があるそうです。ご利益があればうれしいです。
回向柱に触った後、前に進むと、もう、目の前には本堂があります。
本堂の階段を上り、正面から入ると、外陣があり、そこに、びんずる尊者像があります。来ている人たちが像を触っているので、そういうものなのかと、さい銭箱にさい銭を入れて、私は両肩をなでました。あくまでも、私は、びんずる尊者像の肩をほぐしてやりたいというだけのことで触っただけなのですが、あとから調べてみたら、像の部位をなでるとその部位の病気が治るという信仰があるようです。偶然ですが、これを機に、私の肩こりが治るとありがたいです。
内陣を見学する
次に、本堂の内陣を見ることにしました。本堂の内陣、お戒壇巡り(おかいだんめぐり)を拝観する場合は、本堂内陣券の購入が必要となります。
早速、わたしは、右側にある券売機で本堂内陣券を購入しました。価格は600円です。検札をした後、まずは、御開山の前にある焼香台で焼香をしました。後に調べて分かったことなのですが、ここで、御本山の御焼香を飛ばしてしまいました。これは、たまたま真ん中御焼香台がにあったので、この場所でご焼香しただけです。私としては、御本尊と御開山が別々の部屋にあるとは気づかず、1つの部屋にあるものだと思って真ん中のご焼香台を選んだにすぎません。これは、あえて知識を入れずに来たのですから、やむを得ないことです。1回で御本尊と御開山の両方のご焼香をしたことは確かなので、もし、次、来たときは2カ所でご焼香することを忘れずにいたいです。
ご焼香が終わったら、今度はお戒壇巡りです。早速、入り口の階段を下りて入っていきました。私の前に人がいたのですが、ちょっとしたら、中は完全に真っ暗になり、前が全く見えなくなってしまいました。全く見えなくなると、前後左右の間隔の認識がなくなり、どうしようとかと慌ててしまいます。そこで、私は、右側にある壁に手を当てて、前に進むことにしました。前のほうには、赤い灯りみたいなものをみえますが、それでも、全くの暗闇です。私は、右側の壁に手を当てながら、1歩1歩、前に進みます。「果たして、出口に出られるのだろうか」、そんな気さえしながら歩きました。赤い灯りみたいなものもなくなり完全な暗闇の中をゆっくり、着実に歩を進めました。そうこうしているうちに、前がぼんやりと明るくなったので、「ああ、やっと出口だなあ」と、安堵の気持ちになりました。お戒壇巡りがこれほど大変なものだったとは夢にも思いませんでした。
以上が、おおまかな内陣の拝観の流れです。
その後、御本堂を出て、目の前には鐘楼(しょうろう)があるのですが、あまりにもお戒壇めぐりのインパクトが大きかったので、写真を撮るのを忘れてしまいました。それだけ、私にとってはお戒壇巡りは得るものがありました。
お戒壇巡りをして、本当の暗闇というものがどういうものなのかが体感できた気がします。私自身、本当の暗闇というものを理解できていなかったのかもしれません。物事がうまくいかないことが続くと暗闇にいるとたとえられる場合があると思います。
ここからは、あくまでも私自身の考えですが、それは、ただ、物事がうまくいかないだけであり、決して暗闇にいるというわけではないのです。体に関していえば前後左右の間隔はありますから。本当の暗闇は、何も見えないために身動きが取れないほどのものです。もしかしたら、暗闇とは、無の世界にも通じるのかもしれません。本当に何もないのが暗闇な気がします。そこから、何かを得るということを伝えるのが、御戒壇巡りの目的の1つなのではと私は考えました。
善光寺を後に
本当は、他にもいろいろと廻るところがあるのですが、お戒壇巡りのインパクトからか、わたしは、これで十分だと思い、善光寺を後にすることにしました。
事前に、善光寺のことを調べずに善光寺に来たのは、形式よりもまずは善光寺を体感しようということからです。本当は、事前に調べ、きっちり回るのがいいかもしれませんが、せっかく観光目的で来ているのだから、形式から外れてもいいから、体で体感しよう。そう思ったからです。形式と合っていなかったところは、次に来る機会があれば、対応しようと思いました。傍から見れば、随分と適当な廻り方なのだろうが、私自身、今回の訪問で善光寺の基礎的なところを体で吸収できたと思いました。機会があれば、また来たいです。